「おじいちゃん、おばあちゃん」のイメージは過去の遺物

人生

私たちが「おじいちゃん、おばあちゃん」と聞いて思い浮かべる人物像があります。

おじいちゃんは頑固で無骨。新聞を読み、将棋や囲碁をして、盆栽を育てる。
おばあちゃんは世話焼きで料理が上手。孫が遊びに来れば大量の料理を出し、帰りには野菜やお菓子を持たせる。
二人とも朝が早く、物を大切にする。近所付き合いを欠かさず、自分より家族を優先する。

漠然とそんなイメージがあるかと思います。私の祖父母もみんなそんな人達でした。でも、今の60代、70代を見ると、ずいぶん違いませんか。「おじいちゃん、おばあちゃんっぽさ」がないわけです。

本記事では今の老人と昔の老人のついて考察しています。

今のおじいちゃん、おばあちゃんは何世代か

私の祖父母は生きていれば、100-110歳前後。つまり、戦争を経験してきた世代です。一方、その下の世代である父と母は70代中盤から後半の団塊の世代です。

多くの人がイメージする「おじいちゃん、おばあちゃん」は、私の祖父母くらいの世代に近いでしょう。現在の60〜70代ではないのです。両者の世代では、育った環境も大きく異なります。

私の祖父母の世代は、大正、昭和初期の生まれ。戦争を経験し、朝鮮戦争下では最貧困の中に働き、高度経済成長時代には社会の構成員の中心にいた世代です。

一方で、私の父母は70代。今70歳なら1950年代生まれ。青春時代は1970〜80年代が多いです。育った環境も違います。

青春時代にはアイドルがいて、竹の子族がいて、おバカなバラエティ番組が放映されていた。大学時代はモテるために学生運動に参加した人も多い。ロックやニューミュージックを聴き、ジーンズを履き、車に乗り、マクドナルドに憧れ、海外旅行やブランド品を楽しむ。社会人になった頃には高度経済成長の真っ只中だった。

特に東京などの大都市では、昔ながらの老人像との違いはさらに大きくなっています。

昔ながらの老人像 現代の60〜70代
家族・親族を優先 自分の人生も優先
世話焼き 他人に干渉しない
家族主義 個人主義
近所付き合いを重視 地域との関係が薄い
無骨・寡黙 カジュアルで軽い
質素・倹約 旅行や趣味を楽しむ
新聞 スマホ・SNS
演歌・時代劇 アイドル・ロック・バラエティ

もちろん個人差も地域差もあります。
地方では家族や親族、地域との結びつきが強く、「おじいちゃん、おばあちゃん」のイメージ像の70代が多く残っています。逆に都市部の70代は今の若者の延長のような人の割合が高い。

佇まいもかなり違う

戦前世代のスターや芸能人の若い頃の映像を見ると、現代人との年のとり方の違いに驚かされることがあります。30代後半で貫禄がついてきて、60代で長老のようになっていたりするのです。

母方の祖母の写真を引っ張り出してきました。

祖母

58歳の祖母と母とボク。

祖母は私が物心ついた頃には「みんなのお母ちゃん」でした。強くて、はつらつで、温かい。私含め、男連中はいっぱい叱られてたが、祖父(夫)のことはいつも一番に立てていた。

祖父がすごかった話をしょっちゅう聞かされた。祖父への感謝がにじみ出ていた。軒先でご近所さんとの会話が始まると1時間は帰ってこない。旅行すると、何かしら手作りのもの(和紙の手作りペン立てとか)を宿の人に渡して長話。飼い犬が部屋で小便したら、躊躇なく新聞紙丸めてバチコン。

そんな最強な婆ちゃんは、京唄子と互角に渡り合える迫力の持ち主でした。
写真からも、50代で「おばあちゃん」として確固たる人格を形成しているのが伝わってきます。

成人の記念に撮ったであろう祖母の写真が残っていました。20歳の風格ではない。目に意思が宿っている。

成人式

父方の祖父と曽祖父の写真もありました。年齢は不明ですが、父(前列の右から2番目)の感じからして、祖父(一番左)は20代後半ではないかと思います。曽祖父はいくつかわかりませんが、仙人の域に達していそうな達観ぶりです。なお、祖父も曽祖父も私が生まれる前に亡くなっているので、会ったことはないです。

祖父と曽祖父たち

祖父(一番左)と曽祖父(一番右)。

同じ日本人なのに、見た目というか、佇まいが明らかに違います。

手塚治虫の以下の作画からも、現代人との違いがあることがわかります。昔は50代で「おじいちゃん・おばあちゃん」になっていた。サザエさん一家の磯野波平は54歳、ふねは48歳ですから。

やけっぱちマリア

手塚治虫『やけっぱちのマリア(1970年)』より

こう見ると、現代と昔とでは時間の進み方が違う気もしてきます。

「老人文化」なんて最初からなかった?

ここで疑問が出てきます。
私たちが「老人らしさ」だと思っているものは、加齢によって生まれるものなのか。環境が決めるものではないか、ということ。

老人だから演歌を聴くのではない。
演歌を聴いていた人が老人になった。
老人だから新聞を読むのではない。
新聞が主要メディアだった時代を生きてきた人が老人になった。

囲碁、将棋、盆栽、漬物、裁縫、近所付き合い、親族への献身、物を捨てない習慣。これらも「年を取ると自然に身につくもの」ではありません。その世代が生きてきた時代の文化や生活習慣です。

つまり私たちは、「老人の特徴」と、「かつて老人だった世代の特徴」を混同しているのかもしれません。そう考えると、私たちが老人になる未来はある程度予測可能なのかもしれません。

SNS世代が老人になったら

先回りして「数十年後の老人像」を想像してみたくもなります。

今の30代は、学生時代からSNSに親しんでいる。40代も若い頃からインターネットに親しんできました。この世代も、あと30〜40年すればおじいちゃん、おばあちゃんです。さらに今はAIも出てきている。

そこで考えてみたい。75歳になった瞬間、承認欲求はなくなるのでしょうか。おそらく、なくなりません。

現在Instagramで旅行、食事、容姿、仕事、生活水準を見せている人なら、
「70代女子のモーニングルーティン」
「孫と姉妹に間違えられました」
「定年後も毎月海外旅行」
「高級老人ホームに入居しました」
と老人になっても投稿しているかもしれません。

他にも色々考えられます。

70代同士がSNSでレスバトル。
60代港区女子が50代港区女子にマウント取り。
老人たちのブレイキングダウン。
迷惑系老人YouTuberが渋谷スクランブル交差点で暴れて骨折。
全身入れ墨の現役病み系の80代。
SNSや動画を見てるだけで半日終わる。
風呂キャン界隈の汚臭が社会問題化。

老人ホームでは、
「他の入居者をSNSで誹謗中傷するのはやめてください」
「Googleマップで職員の情報を晒すのはやめてください」
と職員から怒られる。

一見すると冗談みたいですが、絶対そうならないとも言い切れません。今いる人たちが、そのまま30〜40歳年を取ると、こうなるからです。

まとめ:「おじいちゃん、おばあちゃん像」はおとぎ話になる

これまでの考察をまとめると、老人とは、幼少期→青年期→更年期の延長にある成熟です。育った時代、社会や文化、地域や家庭環境と自分がどのように生きたかで、どのような老人になるかが決まってくる。現代の老人と一昔前の老人が違うように。

SNS、マッチングアプリ、オンラインゲームに耽る老人が当たり前になった頃には、今の「おじいちゃん、おばあちゃん像」も途絶えているかもしれません。おとぎ話のように。

ただ、1つだけ確かに言えることは、今の「おじいちゃん、おばあちゃん像」は美しく尊いものだということです。ご先祖たちの生き様が刻まれた、私たち日本人にとってはかけがえのない財産です。この財産を大切にし、残したいですね。

そのためには私たちが素敵な老人になれるように努めないといけないでしょう。

大阪生まれ。株式会社デザインプラスという会社を経営しています。 WordPressテーマTCDを運営したり、ブログやメルマガを書いたりしてます。

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