藤子F不二雄のSF短編集に、損得勘定に対する痛烈な風刺が効いた作品があります。それが「自分会議」。
高校生くらいの主人公の元に突如、時価3億円の土地が遺産として舞い込む。しかし、額があまり大きく、どうしていいかわからない。悩んでいるところに、9年後、23年後、33年後の3人の自分が目の前に現れ、助言を始める。
未来の自分たちの意見が割れるシーン。
だが、それぞれ意見が異なるため、自分同士で喧嘩してしまう。
9年後の自分「売って、そのお金を自分に預けてほしい。」
22年後の自分「売ってはいけない。ハイパーインフレで3億円は紙くずになる。」
32年後の自分「将来土地は国有化されるから今のうちに売って宝石に変えるべきだ。」
主人公は多数決を提案するも、2:2で意見が分かれ、奇数にするため過去の自分(幼稚園児くらい)をここに呼ぶことにした。
召喚された子供は、若いのやオジサンやジジイたちが「将来の自分」であることを認識。そして、彼らがお金のことで喧嘩している姿を見て、子供は突然2階から飛び降り自殺してしまう。子供が飛び降りた瞬間、最初からいなかったかのように全員の姿が消えて話は終わる。
子供時代の自分の悲しい顔。
この短い話の中に、現代人への皮肉が散りばめられていると私は思います。
1つ目は、人の認識と価値は、時期や状況でいくらでも変わるという話。
例えば、公務員という仕事は、バブル期は「景気が良くても給料が上がらない」「つまらない仕事」などと馬鹿にされてきたわけですが、今は超安定の勝ち組と言われることもある。ただ、それも今だけの話であって、未来ではまた認識が変わっていることでしょう。
株価チャートもそうです。どのタイミングを切り取るかで、含み益にも含み損にもなる。今は含み益でも、未来の含み損かもしれない。さらに未来へ行くと、含み益は莫大になっているかもしれないが、さらに先へ進むと大暴落が待っているかもしれない。
今のあなたの状況も周りの人の状況も、仮に最悪(最高)だと思っていても、最高(最悪)になるかもしれない。未確定で移ろいやすい状況の中で一喜一憂しているのが私たち現代人です。
2つ目は、損得勘定に縛られた自分を、無垢な自分はどう捉えるか、という話。
人は年齢を重ねるごとに、記憶を重ねていく。記憶の中には損得の知識も含まれる。損得とはこの世の理、生きるための処方箋です。
赤子とは一切の記憶がない状態です。幼いほど記憶量が少ない。よって、記憶(知識)より感情、この世の理より快不快・喜怒哀楽が脳内を占める。赤子にとって、損得勘定などどうでも良い話なのです。
もし、赤子により近い存在で、ある程度の理解力を備えた4-6歳児くらいの幼少の自分が、今の自分や未来の自分を見て、どう感じるか。
1972年の作品だそうですが、むしろ今を言い当てているように思います。
「自分会議」は、藤子・F・不二雄SF短編コンプリート・ワークス 1に収録されています。

