子供は親の道具ではない

  1. 世の中
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少し前に起きた名古屋北区の事件で、父親が自分の息子を勉強を巡って殺す事件がありましたよね。こういうのはホント意味がわからないですね。亡くなった子供がどう感じ、生きたかを思うと胸が痛くなります。この事件の背景には、有名中学への受験があったようです。

・「死ぬほど書け」有名中学へ息子も…受験勉強巡り長男を包丁で刺し殺害 父親は前日に足も切ったか
http://www.tokai-tv.com/tokainews/article_20190621_88116

自分ができなかったことを子供に託す。これは本当にやってはいけないことですね。やってはいけない、というより、やってしまっている段階で自分が進む方向を間違えていると自認すべきです。

親が子供に勉強やスポーツを押し付けることは今や珍しくなくなりましたが、この時の親の状態はどういうものかというと、「人生を諦めている状態」です。色んなことに諦めているし希望もないから、子供に託すのです。自分の子供が栄光を勝ち取ることを夢見ている。それによって、少しでも自分のネガティブな人生をポジティブに塗り替えたい、という狡い思考が透けて見えるからです。でも、このことに自覚がない親は世の中には多いものです。

自分には自分の進むべき道や人生があれば、生きようとする子供にもリスペクトの気持ちが自然と沸いてくるものです。おまえはおまえ、俺は俺で突き進む。それでいいじゃないですか。真っ直ぐに突き進む人の背中を近くで見れることが子供にとっても誇りなのです。

親が子供にしてやれることはそれほど多くありません。抱きしめてあげることと金銭的な援助をしてあげることだけです。決して、親の願いを託すための道具でもないし、老後に面倒を見てもらうための存在でもないのです。

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中田俊行

1982年大阪生まれ。株式会社デザインプラスという会社を経営しています。
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