人に褒められた時、言葉通りに受け取れない人は一定数存在するものです。明確な理由、例えば自分が目指していた数字にまったく達してないのに褒められたとか、そういう理由なら嬉しくないのは分かりますが、「どうせ俺なんて」という思考が潜在的に根付いているがゆえに喜べないという人は少なくないわけです。
で、この「どうせ俺(私)なんて」思考は自分の人生をどんどん悪い方へ追い込んでいきます。恐ろしいほどに追い込みます。なぜなら、プラスの方向に動きかけた時にマイナス方向にブレーキをかけてしまうからです。
本人も意図的にやっているのではなく、「癖」ですね。だから、自分がブレーキをかけてることに気づかない。気づかないから、やめられない。原因がわからないまま悪い状態が延々と続き、精神を病んでしまったりします。
では、「どうせ俺(私)なんて」思考が生まれる原因は何かというと、一言で言ってしまえば「自信」なのですが、そうシンプルでもない。少なくとも頭の善し悪しや能力の高い低いは関係ありません。
自信は一朝一夕に獲得できるものではありません。また、どんなに自分を持っている人でも確実性を手にしているわけではなく、根拠のない自信によって支えられている部分があります。そうやって自分と対話・対峙することでなんとか切り抜けているのです。
厳しい言い方をすれば、「どうせ俺(私)なんて」思考は真実からの逃走です。自分の弱さを受け入れていないのです。
自信はすぐ持てるものではないけど、自分の弱いところと向き合うのは難しくありません。プライドを捨てるだけだからです。弱い自分も自分なんだからと、認めてあげるのです。この意識転換はかなり効果があります。
弱いことは恥ずかしいことではない。人間誰もが弱いからです。逆に弱さを受け入れれば弱さではなくなるというミラクルも起きます。
例えば、あなたがハゲてるとしましょう。こそこそハゲを隠そうとするから、あなたの尊厳を奪っていくのです。「まぶしいか?」とか口にしてしまえば、むしろ魅力に変えられる。たいていの弱さは逆転させられるのです。
自信がない人ほど、高いプライドをもつ傾向にあります。プライドという盾を下ろすと、自分には何もないことに気付くのが恐いからです。でも、そうではないですよね。何もない人などこの世に存在しない。この世に人として存在することこそ、個性です。弱いことも生きる武器になる。
難しいことを抜きにして言うと、他人に自分を良く見せるのを手放せば、ありのままの自分を好きになれるし、楽になりますよ。「俺、ハゲだもん」「チビだもん」でいいじゃないですか。
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