善悪の価値判断を自分の軸で判断すべきか、社会に委ねるべきか

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当サイトでも何度も書いていますが、欲望は行動の原動力になります。詳しくはこちらにまとめてますのでどうぞ。


欲望は悪い事のように言われることがよくありますが、そうではないことも多いわけです。子供の頃からの影響もあって、勉強や仕事することは無条件に良いことで、遊んでいると何やら悪いことをしていると考える人が多い。でも、本来は勉強にも仕事にも遊びにも「良い悪い」はない。刷り込みなのです。大事なのは良い悪いではなく、何を以て仕事するか、遊ぶかです。

仕事でも嫌々やっているなら、自分の善悪の価値判断では「悪」です。遊びでも単なる逃避から来るものなら「悪」かもしれないし、純粋にやりたい一心なら「善」です。この善悪は社会的な価値判断ではなく、自分の中だけの善悪の話です。だから、人から見たら「遊んでばかり」とか言われて「悪」と判断されてしまうことでも、自分の中では「善」だったりして、社会とのギャップが至るところで生じているのがこの世の中なわけです。

こうした自分と社会とのギャップが生じたらどうするか。答えは「無視」です。一旦は無視するしかない。もし無視できないほど声が大きかったら、現状の結果を見て判断してもらうしかない。納得させる材料や結果がなければ、自分の中の「善」を通すことができなくなるわけです。

私の起業当時の話をしましょう。私が25歳で起業した時、1年くらいはほぼ無収入でした。無収入どころか広告費や固定費があったので、マイナスだったりもしました。手持ちの資金がなくなってくると、周りから色々ご指導をいただくことになる。印象に残ってるのは、親戚に神妙な顔で「ちゃんと働きなさい」と1時間ほどお説教くらったことですね。

でも、その時自分は「おまえより働いてるよ」と思ったわけです。実際、寝食を忘れて一日16〜18時間くらいPCの前に座って作業してましたし、正月返上の状態で365日仕事に没頭していた。色々と身体をよく壊していたのもこの時期です。でも、なぜそうまでして儲からない仕事をしていたのか。それは私がお金が欲しかったからだし、成功したかったからです。自分はこのレベルで終わる人間だと思いたくなかったのもあったのかもしれません。だから当時はアフィリエイトをやっていたわけですが、私にとってアフィリエイトをやり通すことは必要なことであり、「善」だったわけです。でも、足りなかったのは結果です。周りの評価は結果がすべてなのです。だから、自分の善の行動を他者に認めさせるなら結果が必要なのです。

かと言って、食べていくためにはお金が必要です。なので、結果を出すことが不可欠である一方、結果が出なければ進路変更を余儀なくされることもある。そのあたりの掛け合いが自分らしく生きるためには大きく影響するところで、だからこそ周りの目を気にして生きたくない、自分軸で生きたいと思うなら、自分との闘いに勝利するしかないのです。

ちなみに最後の余談ですが、「ちゃんと働きなさい」と言ってくれた親戚は今私のことをどう評価してると思います?言うまでもなく、真逆の評価です。そして、会う度に褒めてくれたり、今でも関心を持って見守ってくれています。あの当時私は「ちゃんと働きなさい」の言葉に心底腹が立って、必ず結果を出すという意欲に火がついたので、叱られてよかったなぁとも思ってます。なかなかしんどかったですけど。笑

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中田俊行

1982年大阪生まれ。株式会社デザインプラスという会社を経営しています。
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