なぜかというと、私がわりと最近まで反抗期だったからです。もしかしたら今もかもしれません。
何に反抗していたかというと、特に誰にというのはありません。社会であったり常識だったりにですね。
でも、なぜかと考えると自分の考えを作っていたんだと思うんですね。「これは違う」「あれも違う」と食べては吐き出していた。吐き出す内にしっくりくるものが分かってきた。異物として吐き出していたものを受け入れても問題ない段階になったら、それは一つ成長したということです。
中学生が親に反発するのも自分を作っている時期だからです。繊細で敏感な時期だけに、押さえつけられたり自分の意見を曲げられることを嫌い始めるわけです。けれども、私にも中学生の子供がいますがこちらが尊重する姿勢でいるので反抗の構えは見られません。やっぱり状態なんですね。
彼も自分の頭でよく考えて行動しているので、私はそれを尊重して見守るのです。先の結末を知っていても、やりたいなら何も言わずにやらせる。自分で間違いに気づけば、勝手に方向転換します。
方向転換できるのは自分で考えて行動したからです。自分で考えて行動しなければ方向転換すらできないんですよね。思考してないですから。
つまり、他人の意見は正しかろうが間違っていようが、無条件(無思考)に受け入れると「毒」となるのです。自分で噛み砕けば毒に冒されることはない。だから、時間をかけて噛み砕いたり吐き出したりという行為が反発という形で表現されることもある。で、それは高校生になれば終わるという話でもなく、終わったと感じるなら親が何も言わなくなったか、単に物分りだけが良くなって従順になったかのどちらかです。
社会に出た後の反抗期は、社会に抗うことですね。
この記事へのコメントはありません。