不安をなくす方法について論じてみたいと思います。
ただ、一定かつ特定の不安をなくすことはできても、人生で起こりうるすべての不安を解消することは現実にはできないと、現時点の私は考えています。この意見は人生経験を積む中で変わっていくかもしれませんが、何十年このテーマを研究していて、いまのところ変わる気配がありません。
欲望があれば不安もあるのが自然だからです。欲望は生きることそのもの。生きている限り欲望は消えません。それと同じだと考えています。
ただ、特定の不安からの囚われををなくす方法ならあります。
不安をなくす方法
不安を解決したいなら、不安を解決しようと思わないこと。受け入れることです。おそらくそれしかありません。
たとえば、お金の不安があったとする。不安だからたくさん稼ぐ。たくさん稼いだら不安がなくなるか?なくならないんですよ。より肥大化する。これは本当です。
資産10億と10万の人。どちらが不安が大きいか。10億円の資産がある人の方が不安が大きい傾向があるかもしれない。実際、私も資産10億円以上持つ人で不安を感じていた人は見たことがある。おそらく100億、1000億持っていたって同じなんですよ。そのステージの人にしかわからないことがある。
「だから資産額など関係ない」と言いたいわけではありません。そうではなくて、不安をなくそうと対策するから不安が大きくなるんですよ。
加齢でもそうです。アンチエイジングに気をつければ気をつけるほど、加齢が怖くなる。失われる恐怖が大きくなる。恐怖を持っているから、それが現実で起こる。そういうサイクルがあるような気がします。
じゃあどうすればいいかというと、事実を受け入れることです。お金だったら無一文になることを受け入れる。健康だったら病に冒されることを受け入れる。貧乏になれ、病気になれと言っているわけではないですよ。
「仮に無一文になったってどうだっていいや、そのときはまた一からやり直せばいいんだから」「癌になったらその時。どういう状態になっても楽しく生きればいいや」という楽観的、ある意味で開き直り的な姿勢です。かと言って、そうなるように動くわけでもない。ないんだけど、心の底ではそういう楽観的な顔を覗かせている。そういう状態です。
この境地に至れば、不安に悩まされることはなくなる。
ただね、そうやって不安そのものを受け入れ、悩まなくなったとしても、生きている以上、次の課題に付き合わなければいけないわけですよ。大切な人の笑顔が奪われる不安とか?まぁそれは人によって違うんでしょうけど、一難去っても(自分にとって)より上位に一難がやってくる。
不安がすべてなくなる状態=悟り、だと思うので、その状態はお釈迦様でない限りは訪れないだろうと、私は考えています。
不安を解決しようなんてある意味で馬鹿げているとも言える。ただ、あまりにも低俗な不安は解決しておきたいというのはありますが、基本的には次から次へと生まれる難問に忍耐強く付き合っていこうという所存です。
不安もエネルギー
一方でですよ、不安もエネルギーなんですよ。
実際、不安という心理から仕事をがんばって、裕福になった人もいる。なので、不安という状態が一概に悪いとも思わないです。自分が進むべき道を指し示してくれているものかもしれない。人の感情に無駄なものは何一つないと。だから、それを良い方向に原動力として利用してしまえばいいのです。
ただ、不安のエネルギーはどこまで行ってもやっぱり負のエネルギーです。行き過ぎるとそこに引きずられる怖さもあります。どこかで不安と手を切る必要があるのも事実なのです。
お金持ちなのに「将来が不安です」って言ってる人、カッコ悪いでしょ。そして、いつかダメになりそうな危うい感じがする。
じゃあどうすればいいかというと、さっき言ったようにどこかの段階で受け入れることで手を切る必要がある。そこができた時、一周回って大人の余裕、風格が出ることもある。経験して足掻いたからこその果実ですね。若い内は足掻けばいいんですよ。それが良き年輪として形作られる場合もあるので。
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