「欧米は凄いけど、日本は駄目」論について

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「欧米は凄いけど、日本は駄目」の論調で話をする人は少なくありません。

どんなことにも良い部分はあるし、悪い部分はある。もっと言うと、良い悪いという評価を下さない方が良いこともある。つまり、どっちも良くも悪くもないということが世の中には往々にしてあるわけですね。ただ、こうした論調で話をする人の特徴は「欧米=○、日本=X」という結論が始めからある。「欧米」を「海外」と言う人もいますね。いずれにせよ、日本が悪いという結論が先にあるんです。欧米や海外は、それを表現する為に比較材料として持ち出したに過ぎないことです。

ただ、こうした論調には問題がありますね。今私たちの周りにあるものの多くは環境は年月によって自然発生的に生まれているものがほとんどです。

例えば、「イタリアのイタリアンは旨いけど、日本のイタリアンはレベルが低い」と言う人がいます。でも、私はそうは思わないんですね。どっちも旨いと思う。日本とイタリアでは気温も湿度も違うし、生えてる木々や海水の塩分濃度だって違う。こうした環境の違いによって、必要とする栄養素だったり味覚も変わってくるわけですね。イタリアと日本のイタリアンは違って当然なのです。だから、論理的思考が弱い人がこういう論調をしがちだということがまず1つ言えます。

もう1つ要因としてあるのは、自分に対する自信です。これが根底としては結構大きな割合を占めます。自分が住んでいる地域や国をディスるというのは、これはある意味で自分に自信がないということの現です。「日本は駄目」と言っても、駄目なのはオマエだけであって、みんなが駄目なのではない。厳しいことを言うと、そういうことなのです。

例えば、「日本のWebサイトはダサいけど海外はセンスがある」って言ってるWebデザイナーは少なくないですが、そういう人がデザインするWebサイトはやっぱり駄目だったりします。自分が駄目であることを潜在的に感じているが、それを誤魔化す手段として、日本人Webデザイナー全員が駄目、という論調にすり替えているのです。そうすり替えた方が自分の現時点での力量を受け入れずに済むからです。それはつまり、現実を受け入れていないということです。

本来、そんなわけはないですね。国単位でレベルが高い低いというのはなかなか言えることではないと思います。凄い人もいれば、そうでない人もいる。ただそれだけの話です。ですから、国単位ではなく、個人単位で語る方が現実に合っているのです。

そもそも私は日本が駄目だというのは全然思わないんですね。何が駄目なんだろうと思いますよね。もし駄目だというなら、個人単位の話に落とし込んだほうが良いと思います。国や社会、他人のせいにするのは簡単なんですよ。でも、目の前に起こっていることを自分に落とし込んでいかないと成長はないですよね。

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中田俊行

1982年大阪生まれ。株式会社デザインプラスという会社を経営しています。
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