「没頭力」とは何か

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よく「没頭する」とは言いますけど、これはいったいどういうことなのか。どういうレベルの集中を「没頭する」と呼べるのかという話です。

没頭するとは、自我を忘れることです。頭を使うのではなく感覚で行動するということで、無我夢中の状態と言えます。

そういう視点で見ると、多くの人は没頭できていないわけです。学校の授業のように”頑張って聞こうとしている”状態で仕事をしているわけです。仕事が楽しくない、心地よいと感じれないのはそういうことです。無我の状態は心地良い時間だからです。

例えば、公園で飽きもせずずっと同じ遊びを繰り返している子供っていますよね。大きな遊具なんかで放っといたら何時間でも遊んでいる。あの時って何にも考えてないんですよ。頭を使ってなくて、感覚で動いているわけです。だから、子供にとっては最高に楽しいんです。しかも、その行動がしっかりとクリエイティブになっている。これが頭を使うようになると途端に楽しくなくなるし、つまらないものしか生まれない。というか、「早く帰りたい」となるわけです。

では、仕事においてはどういうレベルが没頭しているのか。

私の場合はいつも音楽を聞きながら仕事していますが、最初の方は音楽で気分を乗せられているのが意識で分かるんですけど、途中からはどの音楽を聞いたかまったく覚えてない。気づいたら5時間くらい経ってたりしますが、意識が戻るまで何の音楽が耳に入っているか意識できない。食事の時間も空腹であることも忘れてしまう。

カフェで仕事するときは一時間に1回はオーダーしようと決めているんですが、これまた忘れてしまうし、周りのお客が入れ替わっていることにも気づかなかったりする。むしろ、周りが見えている時は集中できていないときです。

で、仕事を終えた時の疲労感はというと、全然ないんですね。むしろ興奮状態だったりするので、ずっとできそうな感覚すらある。やりすぎると次の日が眠いので寝ますが、早く続きがやりたいという感覚で一日終えたりもします。

では、なぜ疲労感がないかというと、仕事とは探求だからです。この文章を書くことも探求です。感覚(無我)の中でできる遊びです。だから、公園で遊ぶ子供と同じで疲労感はない。実際には体力は消耗しているのですが、疲労を意識することがないわけですね。疲労を意識している時は没頭できていないというわけです。というか、それは身体に悪い疲れです。

逆にルーティンワークは自分の意識が常にあるので、疲れます。私のルーティンワークの時間はせいぜい1日数十分程度なので大丈夫ですが、これが丸一日続いたらしんどいですね。ルーティンワークは考える手間をなくすスタイルなので一見楽ができそうなのですが、実はしんどいんです。なぜなら、そこに探求はないからです。決まりきったことを右から左に流すだけの作業なのです。

ただ、クリエイティブな思考が求められる分野でも、自分をルーティンワークの枠にはめて仕事する人が実際は大半です。そこに自由はなく、自分で勝手に感覚を殺している。書店やネット上にマニュアルやハウツーが出回っているのもそういうことです。その枠に自分をはめないと行動できない。公園の遊び方マニュアルがないと何にもできない子供と同じです。そんな子供いないですけどね。

というわけで、「没頭力」というのは幼稚園児くらいにはみんな自然と備わっているものです。子供は自我を捨てられることをやりたがるし、楽しむ知恵が備わっているのです。ただ残念ながら、年を重ねるほどに没頭できる人は減っていく傾向にあります。知識や理性の元、行動することを親や社会から要求されるからです。それが板についた大人になると、もはや「探求」と言われてもピンと来ないし、言語化されたマニュアルの型通りの”クリエイター”になってしまうわけですけどね。

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中田俊行

大阪生まれ。株式会社デザインプラス代表。WordPressテーマTCD・フォトストックサービス「マルシェ」シリーズなどを運営。

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