男の役割は金を稼ぐこと。古今東西、変わらない普遍的な法則です。
古来人類では、SEXにありつける男は、狩りに成功し、集落で成果を分け与えた男だけでした。狩りは男にとって命がけの行為。命を落とすことや怪我で再起不能になるリスクがある。飢餓と隣り合わせでもある。狩りができなければSEXにありつけなかったし、子孫を残すこともできなかった。
飽食の時代では、そのような価値観はほとんど存在しません。現代の男が狩りをするのは、集落や家族や女のためではなく、自分のためです。なるべくお金をかけず、コスパ重視でSEXを求める。必死に仕事をしなくても、目の前の楽を選択しても生きてはいける。ゆえに、命がけの行為など存在しません。
男の役割をまっとうしない男が増えたことは、女の不幸の始まりでもあります。男に頼れない背景の中にある女は、女の力だけで生きていかねばならない。女性たちの間でこうした本が流行るのは、そうした背景を端的に示しています。
月収 (原田 ひ香 著)
三つ編み (レティシア コロンバニ 著)
昨今では男と女の立場や役割は、あやふやです。女みたいな男、男みたいな女が増えました。性別という境界線の意義は年々薄れてきています。
デート代は割り勘、夫婦になっても生活費や家賃も割り勘。男側も女の年収を求める。その代わり、男も家事や育児を半分担う。男が女の役割を担い、女も男の役割を担う方向に社会は向かっています。
でも、男は女の役割を担えないし、逆も然り。当然のことです。男の方がお金を稼ぐのはうまいし、女の方が家事や育児はうまいからです。差別ではなく区別であり、事実です。
男も家事や育児をやってできないことはないですが、女ほどうまくできない。「男やもめに蛆が湧き、女やもめに花が咲く」ということわざがあるように、そこに交わることのない性差が存在する。女が金を稼ぐこともそう。やってできないことはないし、高給取りも増えていますが、それを全女性に求めるのは酷なことです。
では、男はどれくらいのお金を稼げば良いのか。指標となる金額はありません。家族や女性が安心して生活できること。重要なのは生活を保障する責任を持つことであり(離婚や死別であっても)、贅の限りを尽くさせることではありません。
この記事へのコメントはありません。