それは西洋医学で病名のついている病気だけではありません。肩こりや倦怠感といった身体の小さな変化も含まれます。
私は有り難いことに滅多に病気にかかることはありません。でも、ダルさを感じることはあるわけです。というより、ダルくなることを半ば分かった上であえてそこに突っ込んでいくことがある。どういうことかというと、自分を成長させるための刺激を求めるからです。刺激には心地よいもの、悪いものがあると思いますが、刺激を求めれば心地よいものばかりに当たるわけではなので毒をもらった次の日はたいていダルい。笑
ダルいと言っても、意識しなければ忘れる程度のものが多いですが、身体が重いというか、頭がクリアではないことは感じるわけです。そういう時は身体を動かしたり散歩したり、銭湯に行って禊に行ったり、神社を歩くといったようなことをやる。自分が気持ちいいことをやる。何をやるかはその時の気分です。頭がクリアじゃないまま仕事に取り掛かるようなことはほとんどありません。
仕事は自分の世界に入れる最高の時間です。でも、そのためには自分を最高に近いパフォーマンスの状態にもっていきたい。自分と向き合いながら働くスタイルを長く続けているとわかってきますが、ルーティンワークはパフォーマンスの悪い状態でもスキルである程度ごまかしが効きます。でも、非ルーティンが求められるクリエイティブな業務はごまかしが効かない。如実に成果物に差が現れる。これは本当です。
だから、良い結果にしたければ、良い過程を通らなければならず、そのために自分を最高の状態に置くことは避けて通ることはできないのです。
逆に、身体の小さな変化を見逃し、放置して日々過ごしていると大変なことになると思います。それは自分を大事にしていない行為です。よく頻繁に風邪を引いたり、体調を崩す人がいます。体調をよく崩しているということは生活習慣が良くないということです。ただ、ここで言う生活習慣とは世間で言うところの生活習慣とはまた違います。
「生活習慣を見直す」という言葉はよく聞きますが、世間では暴飲暴食をやめ、睡眠をしっかり取ることを指します。でも、そういった表面上の見直しだけでは、状況はあまり変わらないと私は思います。ではどうすればいいか。1つ目は自分の魂が発するメッセージに耳を傾け、自分を大事にすること。2つ目は生かされていることに感謝することです。
自分の魂とは本当の素の自分ということです。ただ、素の自分が何を求めているか、知っている人は案外多くはないものです。理由は素の自分を普段から出していないからです。偽りの自分を気づかない内に演じているのです。演じ続けていく内に偽りの言葉が自分の本音だと思いこんでしまい、気づかぬ内に無理をしていたり、やりたくないことをやっていたりする。楽しもうとしても楽しめないのはその為です。
でも、人ってもっと簡単でシンプルなことで楽しくなれるんですね。散歩だってそうだし、自分が好きなことに対して頭を使うことも楽しい。楽しいことは溢れているのです。例えば、旅行にしたってたくさん観光地を回らなくたっていいじゃないですか。本当にしたいことなんですか?と。本当にしたいことならいいんですが、「もったいない」とかそういう理屈で動いてませんか。海辺にずっといたいと思えば、毎日海辺にいたっていいわけです。そういう小さなことなんです。
2つ目は生かされていることへの感謝です。感謝というのは難しいんです。ビジネスメールの文末に「感謝」と入れる人が時々いますが、ああいうことではないんですね。意識的に感謝したって、それは感謝ではないわけです。落とした財布が交番に届けられていたら、感謝のこころが自然にドッと溢れてきますよね。これなんです。
この本当の感謝のこころを、自分を生かしてくれているものに持てるか。例えば、家に帰ったら毎日夕食が用意されている。そういう当たり前のように受けている人からの好意を感じることです。意識ではなく感じるのです。五臓六腑や血液だって自分が動かしているわけではありません。脈々と続いたいのちの繋がりによって、進化した仕組みによって私たちは生かされているのです。そう考えると、今自分がこの世で生きていることは奇跡とも考えられる。当たり前ではないんですね。
そうやって自分を満たし、感謝できる環境に身を置けばおのずと自分の身体も心地よい状態におけるというものです。
この記事へのコメントはありません。